徳島で働き始めました。


by lulucchi

価値観のとらえかた。または個人的アンチ「アンチ・フットボール」論。

ワールドカップで寝不足の日々が続きます。
今回の大会ですが、ここまで見ていると番狂わせだったり思いもよらぬ引き分けだったり、下馬評と異なる結果が出ていることが結構あります。南半球だったり、高地開催だったり、ボールとかいろんな要素があるのかな。
昨晩のニュージーランドがイタリアとドローを演じたのも、大きなひとつですよね。

最近、気になっている言葉に「アンチ・フットボール」という言葉があります。
一般的に言われてるのは、守備一辺倒に布陣したり、相手の攻撃をファールで止めたり…そういう「美しくない」フットボールに対する揶揄する言葉として。
確かに、強豪国のきらびやかなサッカーに対してそれは退屈なサッカーなのかな、と思ったりもします。


ただ、少し気になるのはこういった言葉が時々拡大解釈されて語られているのではないかな、と思ったりするとき。たとえば「今回の日本の勝利はただ勝つためだけの戦略で、少年たちにつなぐことの大事さを伝えられていない」とか、「こういったアンチ・フットボールのサッカーでは何も伝えられない」とか、そういう言葉。

その言葉の根底には理想とするサッカー…たぶんそれはヨーロッパの強豪国や強豪チームのそれなのだと思うのだけれども…があって、それに当てはまらないものを排除しようとする意識みたいなものがあるのではないかな、と思ったりします。

歴史上においてかつてヨーロッパが拡大主義をとっていたころ…そのときの題目は文明/反文明であったり、キリスト教/反キリスト教的な言説の下で自らの主張を正当化している時代がありました。
文明化された国が多くの地域を教導していく…といった言葉。
それは確かに進んだ文化を世界に伝播していく大きな原動力になったのだけれども、一方の問題としてその国土固有の文化や価値観を破壊してしまった部分もあります。

時々サッカー関係のコラムとかを見ていくと、昔歴史の本を読んでいたときと同じような感覚に陥るときがあります。同じ地域同士では同胞的なコミュニケーションをとりながら、一方でほかの地域をアウトサイダーとみなしていくような考え。たしかに、欧州からしたらアジアやアフリカは異なる文化を持つ地域だから仕方ない部分もあるのだけれど、一方でアジアからしてももちろん同じ。大事なのは、すばらしいものは受け止めながら、自分たちに向いていることや今できることを探していくことではないかなぁ、と思ったりもするのです。

サッカーって(もちろん、ほかの多くのスポーツもそうなんだけど)多くの価値観をある程度のルールで共通で理解して、その中でいろいろ自由にやれることがすばらしいのじゃないかなぁ、と考えたり。勝つために、努力するためにいろいろな方法を考え出す。そういう自由さがフットボールが世界に広まっていったひとつの理由なのかなと感じたりします。


そういった意味では「アンチ・フットボール」って言葉は、むしろ可能性を閉じ込めてしまう言葉のように思ったり。もちろん、もともと言った選手はそんなこと考えていないと思うのですけどね。言葉が広まっていく中でいろいろ意味が付与されていくのはよくある話。どれが正しいってわけじゃないけれども、個人的にはどんなサッカーだっていいんじゃないかなって気持ちでいたりします。
[PR]
by lulucchi | 2010-06-21 10:43 | サッカー